19331007致增田涉
331007致增田涉
    手紙二つとも拝見、質問は别紙同封送ります。
    支那にも孔子の道て以て国を治めたいと云って居ます。これから周朝になるでしょう。そうして私は皇室になります。夢にも考へなかった幸です。
    恵曇村と写真屋とがそんなに遠ぃですか?実に桃花源の感を起します。上海では五步にして一つ咖啡店、十步にして一つ写真屋、実に憎む可き処です。
    海嬰は悪戯でいけない。家庭革命のおそれ有り、木実君の方がおとなしいでしょう。 草々頓首
增田兄几下
隋洛文十月七日
    (1)114頁『元無有』桑綆、はっきり云へない。桑の皮で拵らへた繩と訳する外、仕方ない。
    (2)113頁以賢良方正對策第一地方の長官に賢良方正な人と認められ京都に送り、試験する時に策問を答へて第一人者として及第す。(賢良方正に挙げられても落第する事あり。)
    (3)115頁分仙術感應二門
    仙術と感応との二類に分す。
    (4)116頁清『四庫提要』子部小説類
    清『四庫全書提要』の中の子部小説類なり。其の『提要』は中に經、史、子、集の四部(所謂「四庫」)に分け、每部の中に又各類あり。
    (5)117頁 邵公
    周武王の時の人、周公の弟なり。
    (6)a.季札
    春秋の時、呉國の太子、道徳の高を以って称せらる。
    b.三官書
    道士の出鱈目ですから明確に云へない。三官より発せられたる書(命令)でしよう。
    c.九宫も天界の宫殿の名、其の中に小い宫殿が九あるよ—だ。
    (7)118頁
    a.五印=唐の時に印度が五部にわかって居ると云ふのだから五印と云ふ。
    「嘗至中天寺……輙膜拜焉」まで金剛三昧の話。
    b.寺中多畫……は、麻屩及び匙、筯。玄装の像ではない。
    c.蓋西域所無者は麻屩及匙筯。
    d.齋曰は印度坊様の斎曰。(寺には每月、何日かの斎日があるでしょう、其曰にあらゆる坊様に食はせる。しかしいつかは知りません。)
    
译文
    两函均奉悉,所询问题,另纸附上。
    在中国,也有人说要以孔子之道治国,从此就要变成周朝了罢,而我也忝列皇室了,真是做梦也未想到的幸运!
    惠村离照相馆那么远吗?真令人有世外桃源之感。在上海,下一步一咖啡馆,十步一照相馆,真是讨厌的地方。
    海婴淘气得很厉害,怕会闹家庭革命。木实君想是比较温顺罢。 草草顿首
隋洛文 十月七日
增田兄几下
    (1)114页《元无有》
    桑绠,不能确说。除译作用桑皮制的绳子外,没有办法。
    (2)113页 以贤良方正对策第一
    被地方长官认为贤良方正的人,送到京都,在考试时答策问作为第一人及海。(被举为贤良方正者也有落第的。)
    (3)115页 分仙术感应二门
    分为仙术与感应两个门类。
    (4)116页 清《四库提要》子部小说类
    即清《四库全书提要》中的子部小说类。那《提要》里面分经、史、子、集四部(所谓“四库”),每部之中又有分类。
    (5)117页 邵公
    周武王时的人,周公的弟弟。
    (6)a.季札
    春秋时,吴国的太子,以道德高超著称。
    b.三官书
    系道士的胡说八道,故不能确说。许是三官所发的书(命令)罢。
    c.九宫也是天界宫殿名,其中似有九个小宫殿。
    (7)118页
    a.五印=据说唐时印度分为五部分,故称五印。
    “尝至中天寺……辄膜拜焉”是金刚三味的话。
    b.寺中多画……,麻及匙、著。不是玄奘的像。
    c.盖西域所无者,麻及匙、著。
    d.斋日,即印度和尚的斋日(在寺内每月定某日为斋日,那天给所有和尚供食。但何日景不知道了)。
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