19310303致山上正义

310303致山上正义



山上正義様:
    訳文を拝読致しました。誤訳と思ふ所、参考となる可くと思ふ所、大抵書とめてきました、别の纸で、且つ両方とも番号をつけて、今、訳文と一所に送り上げます。
    序文に関しては——御免を蒙ります。あなたに書いていたゞきましょう。只序文の中に說明して貰ひたいのは、この短篇は一九二一年十二月に書いた事、或る新聞の「ヒュモア欄」の為めに書いた事、その後、思はず代表作とされて各国語に翻訳された事、而して本国では作者はその為めに大に憎まれた事、——若但那様派に、阿Q派に——などです。
草々頓首

Lusin三一年三月三日

    1 列傳とする以上は沢山のえらい人物と一所に正史の中にならばらば、ならぬわけだし
    2 (昔の道士は仙人の事を書く時によく「内傳」と云ふ題名を用ふ)
    3 (林琴南氏は嘗てコナン·ドイルの小說を訳して『徒列傳』と云ふ名をつけた·ここには、その事を諷刺して居る。デッケンスと有るは、作者の誤)
    4 (こんな事は林琴南氏が白話を攻撃した時の文章中に有る話し)(「引車賣漿」とは、車を引いき豆腐漿を壳る事、蔡元培氏の父を指す。あの時、蔡氏は北京大学校長で矢張白話を主張した一人で、故に、矢張、攻撃の矢を受ける)
    5 抗辯する事も、しなかった
    6 自分から、毆打される事を招いた(自分が悪いから、打られる)大莫迦
    7 況や、その誕生日の詩文を徵集する広告をまいた事もない(支那の所謂る名人のよくする事で、実は金錢(賀礼)を収集する方法である)
    8 (茂才は即ち「秀才」の事)
    9 (羅馬字の使用を主張したのは錢玄同である、ここに陳獨秀と云ふのは茂才公の誤なり)
    10(荘、即ち村の事)
    11(翰林の第一番は状元)
    12「阿Q真能做」とは「仕事を実に一生懸命にやる」の意
    13(「懶さうに」の下に矢張り「やせこけて」の一句を入れた方がよいと思ふ)
    14 この二人は皆な文童の親父さん……
    15(12参照)
    16(癩瘡疤は疥癣で秃になった所の迹)
    17(16参照)
    18(同上)
    19(同上)
    20(營養不良の為め頭髮の色までも茶褐色になる事)
    21 だが、结局、それは、反へて殆んど失敗に终ってしまった事であった(訳すれば)
    22 賭場のおや達のよくやる仕業である、若し村民が勝っ&··たら、その一味が来て喧嘩を吹掛るか、或は役人のなりをして、賭を捕るか、その時、村民を撲り、その勝た金を取り上げる
    23 角天角↘門↙┏━━━━━━━━━━┓左┃┃右、┃┃、青┃┃白龍┃穿┃虎┃┃即┃←————→┃即ち┃┃ち、┃堂┃人地┃┃┃┃┗━━━━━━━━━━┛お·や·角及び穿堂に掛ける人は両側の勝頁と同じ事になる。&°若し両側一勝一頁ならば、角及び穿堂は勝頁なし
    24 何日でも
    25(『小孤孀上墳』は芝居の名、『若後家の墓参』と訳したら、如何?)
    26 矢張人よりは……
    27「犧牲」を「牛」と改る方がよいと思ふ、孔子に牛を上げるが先儒には牛なし
    28 秃
    29 同上全
    30 く体面を失った事である(偉くない事)
    31 且つそんな言葉をなんとも思はなかったらしい
    32「彼の傍まで……」は誤。彼の仇人(对頭)である
    33「腿也█了」は西洋人の步方をまなぶ為めである、立派と少し違ふ
    34「老婆」は嬶、祖母に非ず
    35 36 同上
    37 果してぱっと云ふ音がして確に自分の頭の上に打ち下されたらしかった
    38 運が悪い(迷信に若し尼を面見すると一日の運は悪いと云ふ)
    39 尼様の頰をつねった
    40 尼様の頰をつねってねぢった
    41 不幸に感ぢる
    42 ……の顔にこすってすべすべとなっただらうか?
    43 女の大股をつねった事があった
    44 ところが今度の尼さんは、そんな隔をして居ないヘダテ
    45 これは全く謀反じゃ!……俺は眠りも貴様の為めに出来ない(事件は夜に出たのだから)
    46 昨日の様に赤裸で寒いのに耐られなかったほどではなかったが……
    47 飛び掛る外なかった
    48 或は二十分かも知れない
    49 見物人にとって満足したかどうかは、知らない。誰も何とも言はながった。が阿Qを雇ふ者は不相变なかったのである
    50「一注錢」は沢山の金
    51 同上
    52 まづ礼をしてっゞいて語りかけた
    53「新聞」は只「ニュ—ス」です
    54 王鬍は幾日もぼんやりになってしまった
    55 趙家の点けて居たのは、油菜の種子で拵へた油を用ふる灯台です
    56 同上
    57 あれは、この俺が差止めたんぢやで……(あとは「今度はこの俺が呼んだのだから来ない心配はない」の意)
    58 阿Qの方を見た、阿Qは感動したか否かを明の崇正(実は禎)皇帝の為め、喪服をつけて居る(
    59「明の為めに清朝に对する復仇」の意)
    60 謀反である以上、これは、即ち彼をも反对するもので
    61「悔不該酒醉錯斬了鄭賢弟」は芝居『龍虎闘』中の文句である。宋の太祖趙匡胤が敵に打敗された時に歌ふ。誤って義弟鄭と云ふ人を殺して自分の味方の減った事を悔む。「我手執鋼鞭将你打」はその敵が歌ふ文句
    62 です「わたし共みたいな貧乏仲間はかまわないだらうがな……」
    63 寜波式のベット(贅沢な大きいベット)、南京床ではない
    64「革命革命、革命して又革命する……」
    65「……あん人達はもうやって来て革命したのだよ」
    66 満政府と同一なるもの
    67 龍牌 木の板でつくり四に竜の装飾を刻し仏像の前にくもの、高さは一尺五寸位
    68「革命を許さない」と訳した方がよいかも知れない
    69 全く様子が变って人間らしくなくなったとか
    70 公、即ち、先生。ここには、軽蔑の意味を含んで居る
    71 頂子、清朝の官位のしるし、帽子の上につけたもの。ここには、「官位のしるし」と訳す方がよいかも知れない
    72 劉海仙即ち蝦仙人
    73 だから、自分は、こんな小県城に事業をしようと考ふる筈がない
    自分ながらもこれを軽蔑しようと思った
    74 床の事、参照
    75 同上
    76 乗客をのせて町と村の間を往来する船を「航船」と云ふ。七斤は人名。恰度日本の昔に、職人を何屋某と云ふのと同じ様です
    77 第九章は一切の终り。或は矢張『大團圓』と云ふ方がよい
    78「わたしゃ……その……恰度(加入せて貰はう事を)申込もうと思って居ります……」(この為めに、上役は自白に来ると誤解する)
    79 西瓜の種の形
    80 俺の孫なら、まんまるい円を描けるものだ
    81 ……考へるにすぎないだらう
    82 女中をして
    83 25参照
    84 次第に前朝の遺臣の様な気持(昔を恋しくなる気持)を生じて来た
    85 白布の着物の上に黑字で、阿Qの姓名及び罪を書いて居る


译文
山上正义先生:
    译文已拜读。我认为译错之处,或可供参考之处,大体上均已记于另纸,并分别标出号码,今随译文一并寄上。
    关于序文—请免了我,你写吧。只希望在序文中说明:这个短篇系一九二一年十二月写的,是为一家报纸的“开心话”栏写的。其后竟然出乎意料地被列为代表作而译成各国语言,而作者在本国因此而大受少爷派、阿Q派的憎恶,等等。
草草顿首

Lusin三一年三月三日