“中国杰作小说”小引

支那に於ける新文學の始から今までの間の年月はまださぅ永くなかつた。始の時には矢張パるカソ諸國に於けるが、、、、如く大抵創作者も飜譯者ゃ文學革新運動戰闘者の役を勤めて居たが今になって稍々分れて來た。併しその爲め一部分の所謂作者の吞氣さを増長した點から云へぼ頗る不幸な事でぁる。一般に云ふと現今の作者は書く事の不自由の點を别としても實に困難な境遇に置かれて居る。第一、新文學は外國の文學潮流に動かされて發生したのだから自國の古い文學から遺產として取るべきものは殆んど無かつた。第二、外國文學の飜譯物も少々ぁるけれども全集や傑作なく所謂“他山の石”となれるものは實に貧乏なものでぁつた。併し就中短篇小說の成績は割合に良い方に屬して居る。無論傑作と云ふ程のものはないけれども此頃流行して居る外國人の書いた支那の事を取扱ふ處の創作よりは必ず劣つて居るとも言へない。その眞實の點に至つては寧ろすぐれて居るのである。外國の讀者から見れば本當でないらしい處が隨分あるかも知れないが、併しそれは大低眞實である。今度、自分の淺陋をも顧みないで最近的作者の短篇小說を選出して日本へ紹介することになつたが——若し無駄な仕事に終らなかつたなろば誠に莫大な幸である。一九三六年四月三十日鲁迅